Page-18 (2024-Vol.2)
2024年もあと4か月を残すのみとなった9月の時点で、私が陸自の駐屯地祭で計画できたのは木更津/明野/八尾の3か所のみだった。明野は一昨年(2022)に引き続き2回目であるが、撮り残しの機体を狙い、大阪府の八尾は初めて出向く駐屯地であるので、AH-1SではなくUH-1J狙いであった。考えて見えれば、この3か所は何れも曇り空での開催であったし、木更津駐屯地祭は午後から大雨になってしまったが、後悔の無いよう記録を残しておこう・・・(2024年12月 記)
↑ 同じく第5対戦車ヘリ隊所属のAH-1S 84号機(73484)。この日観閲飛行/展示訓練飛行で7機のAH-1Sが飛行した。
↑ 観閲飛行を終えエプロンに戻る飛行学校本校所属のAH-1S 59号機(73459)。航空学校本校所属を示す"S"は無いが、本校所属だけは白で数字が書かれている。
↑ 2024年10月開催の明野駐屯地/航空学校の航空祭。天候は曇りだったが、午前早い時間のエプロンから撮影が逆光にならなかったのが良かった。此処では第5対戦車ヘリ隊と明野航空学校所属のAH-1Sが未だ相当残っており、撮れていない機体があるかチェックをしながら、倉庫内も探し回る。格納庫内に置いてあった73号機(73473)と89号機(73489)。73号機は航空学校飛行教導隊”SD”、89号機は飛行学校本校”S”であった。
↑ 飛行展示した明野飛行学校飛行教導隊のAH-1S 83/56号機は全て「自衛官募集」のQRコードと文字を入れ、航空ファンをがっかりさせたが、飛行学校本校のこの59号機はそれが無かった。
↑ 同一格納庫内で機体説明用として第5対戦車ヘリ隊のAH-1S 76号機(73476)が展示されていた。コックピットも公開されていたが、明野駐屯地ではAH-1Sの導入当時は自衛隊関係者に対してでさえ、近くからの撮影を禁じられていたくらい敏感に取り扱われていたのだ。確か1977年か1978年頃の話であるが、当時はまだ新鋭機という事で、機密扱いにされる部分も多かったと聞いている。当時明野を訪問した陸自OBの父からの話である。
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↑ コックピット後方の表示が見えにくいが第5対戦車ヘリ隊所属のAH-1S 71号機(73471)。
↑ 同じく観閲飛行を終えエプロンに戻る第5対戦車ヘリ隊所属のAH-1S 92号機(73492)。ご存知AH-1S 最終生産機である。
↑ 初めて訪れてみた大阪の八尾市にある陸上自衛隊中部方面ヘリコプター隊の本拠地である八尾駐屯地、航空祭にはAH-1S 91号機(73491)が展示飛行した。この日の為に明野駐屯地からの飛来である。
↑ 2024年9月の木更津駐屯地航空祭。この年が5年間木更津にいたV-22 オスプレィ輸送機の最後となる航空祭だった為、主役はもちろんV-22となっていた。AH-1Sは観閲飛行で3機が飛んだが、機体番号が確認できたのはこの67号機(73467)の常連参加さんだけである。それにしても習志野/立川/木更津とデモ飛行に使われた67号機は本当に機体の調子が良いのであろう。